胡麻への理解
コメへの固執と地域差さらに日本では、魚以上にコメそのものに固執してきた点が重要です。
とくに前近代までは、地形的な条件さえ許せば、可能な限り水田として開発してきました。
またコメ作り技術が著しく発達をとげ、もともとは亜熱帯の植物を、亜寒帯の北海道でも栽培可能とさせたのです。
二○○○年以上も前に、コメ作りを伝えてくれた朝鮮半島にくらべて、一九世紀末には、倍近いコメの生産力を誇るようになります。
まさに日本は、コメ文化の国でした。
コメと北海道・沖縄北海道は、かつて蝦夷地と呼ばれ、アイヌの人々が住んで北方アジア文化の一部を構成しており、狩猟・漁携活動などを営んでいました。
中世には、和人たちが進出して、館を築いて活動していましたが、近世に入ると、幕府は松前藩をおいて、海産物などの本格的な交易に乗り出します。
和人地は、海岸部にだけ設けられました。
そして明治二(一八六九)年の開拓使設置によって、北海道は全面的に日本に支配されるところとなったのです。
また沖縄は、東南アジアの影響も強いのですが、中世には、北山・中山・南山という国ができました。
これらが、やがて中山によって統一され琉球王朝が成立します。
ただコメの文化は、列島のすみずみにまで、悉く及んだわけではありません。
コメ作りに適さなかった地域も数多く存在し、畑作のほか山や海に生産の場を求めた人々も、決して少なくありませんでした。
北海道、沖縄は、近代になって日本となった地域で、それまでは日本的なコメ文化が及ばず、両者には肉の文化が存続していました。
もちろん和人たちも、活発に交流を行っていましたが、中山も琉球王朝も、中国の冊封体制下に入って、その文化的影響をうけるところとなりました。
ここにはブタとヤギを飼育する文化があり、水田もありましたが、石灰岩による島地形のため、ほとんどコメ作りには適しませんでした。
この沖縄は、近世に入ると薩摩藩の侵攻により、その属国とされました。
いっぽうで中国の庇護下にありましたから、同時に日本と中国という二つの国家に属することになったのです。
そして明治三(一八七九)年の琉球処分で、日本の一部となりました。
つまり北海道には和人地とアイヌ人地とがあり、沖縄は両方の国に属していました。
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